片想い 北川景子網誌原文
感謝PTT/renelove 熱情提供中文翻譯!
單戀
我讀了東野圭吾先生的書,『單戀』。
書腰上寫著,
"以前的戀人變成了「他」?
抑或,現在還是「她」?"
因為被這些話吸引而開始看了起來,最後一口氣的把它看完了。
這並非單純的推理小說,
『人的本質是什麼?性別認同是什麼?』
這樣大的題材同時描寫這兩點,是非常有深度的書。
因為內容較深,我無法向大家好好的歸納說明,
可惜......
不過所謂男性和女性的分別,
只是單單以生物學上的性染色體是 XX、抑或 XY 來做區分,
我也藉此機會體認到這並非是這麼簡單的。
而認知到這些後,也感受到了以下這樣的事。
本來,要去完全清楚的區分開男性和女性,
不就是無意義的嗎?
說得極端一點,我們人會畫上各種界線去區分人,
去區分種類、或把人歸類到某一型裡,
這是不對的吧?
例如擅長運動的人、機械方面很強的人、很喜歡畫畫的人......
擁有各種不同個性和能力的人存在著,
若這部分突出的個性和能力可以發揮的話,
這些和性別、年齡等類別都是無關的...
雖然我也說不太清楚,
不過我們更應該以『身為個人』這樣的去被尊重的吧?
我平常將想法付諸言行之前都很膽怯,
常條件反射性的想到
『如果說了這句話別人會怎麼想?』、
『現在人家用什麼樣的眼光來看我?』、
極度在意來自外界的看法,不過,
藉這本書也體會到了
『更率直的表現出想法,或許可以活得更像自己』。
我對收拾東西和做菜都很不擅長,通常以一般來說就是缺乏"女生的樣子",
有時也會介意這點,不過,
是不是有女生的樣子、或是看起來是不是所謂的優等生,
這些地方都不用太在意了,
我覺得忠實的活出自己就好了。
順便說一下,晃動的照片中是被我抱著的愛貓 JILL。
JILL 一副臭臉的樣子(笑)
東野圭吾さんの『片想い』という本を読みました。
本の帯に書いてある、
"かつての恋人は「彼」になってしまったのか?
それとも、今でも「彼女」なのか?"
というフレーズに引かれて読み始め、一気に最後まで読みました。
単純なミステリーではなく、
『人間の本質とは何なのか?性のアイデンティティーとは何なのか?』
といった大きなテーマが同時に描かれていてとても深い本でした。
内容が深いので、私には上手く皆さんに要約して説明すること出来ず、
残念ですが…
男性と女性の区別というのは、生物学的に言って性染色体がXXなのかXYなのか、
といったことだけで決定するような
そんな単純なことではないのだな、と
知るきっかけになりました。
そのことを知って、以下のようなことを感じました。
そもそも、男性と女性をきっぱり区別しようとすること自体、
ナンセンスなのではないか?
極端な話、私たち人間を色々な区分で線引きしたり、
ジャンル分けしたり、型にはめようとすること自体が
間違っているのではないか?
例えばスポーツが得意な人、機械に強い人、絵が大好きな人…
さまざまな個性や能力を持った人が存在していて、
その抜きん出た個性や能力を生かすことが出来れば、
性別とか年齢とか関係ないんじゃないか…
うまく言えないけど、
もっと私たちは『個人として』尊重されるべきなのではないか?
私は普段から言動を起こす前にとても臆病になってしまって、
条件反射的に
『この発言をしたらどう思われるんだろう?』とか
『今私は人からどういう風に見られているんだろう?』とか
外からの見え方をすごく気にしてしまうけれど、
この本が
『もっと思ったことを素直に表現したり、自分らしく居てもいいのかもしれない』
と、思えるきっかけになりました。
私は片付けも料理も苦手だし、全体的に俗に言う"女性らしい"ほうではないので
それを気にしたときもあったけど、
女性らしいかどうかとか、
外から見ていわゆる優等生に見えるかどうかとか、
そういうことはあまり気にせず、
自分らしく自然体で生きていけたらいいなぁと思いました。
ちなみに写真はぶれてるけど私に抱っこされる愛猫JILLです。
JILLの顔が嫌がってますね(笑)
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